そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

時には昔の話を

物事の善悪の判断すらつかない頃から、私の隣にはピアノと本がいました。

ピアノを弾くと褒められます
上手だとすごいと言われました
弾けないととてもがっかりした顔をされる

今その話をすると私の母はとても不機嫌になります。
私はちゃんとやったのに貴女がしなかっただけで、料理も掃除もちゃんと教えたと怒るのです。
でも、自分が取り上げたことを責められたくないばっかりに慌てて押し込んだ知識に意味などあったと思う?

ピアノ以外の全てが上手くこなせない私にとっては罰ゲームとしか思えなかった。
勉強も家事も何もかもが、人並みになるためには他人の何倍もの時間がかかることに気付いてからは更にピアノにのめり込んだ。
自分が頑張った分だけ結果が出る唯一のものとして、私の中でキラキラと光る宝石だった。

上手なのは当たり前になった頃。
もっと上手な人がいっぱいいる世界に首を突っ込んだら、ほんとにいちばん下手くそで。
その頃から隣にいることもなくなった。

否定され続けることに慣れた頃
それでも諦められない自分を恨み、歩みをとめない愚か者だと罵った
でも、きっと大丈夫だと上手だと私だけは私のことを褒めることにして

口だけでも、音だけでも私に聞かせたかった

私は私を愛していると、生きてる価値があると言い聞かせたかった

どんなに馬鹿にされても嫌いになれないピアノを、愛する資格が欲しかった。
何で一日の殆どを遊びもせずずっと練習に費やすのか自分でもよくわからなかったけど、楽しくて仕方ない瞬間があまりにも幸せでその時間が来るまではと延々と弾き続けた。
もはや、麻薬のようだった。

誰か愛してなんて無責任なことは言わないから、せめて私が愛せる私であれと
努力を重ね、誰よりも前を向き決して折れない
出来ないことをやらない理由にしない人間であれ
好きなことを好きなだけやっても責められない環境を作りたい

本当にそれだけで。

私から仮にピアノを取り上げたらぼろぼろと形が崩れてしまうくらいには、全てをピアノに委ねて。
何を捨てても自分の時間も体力も精神も全てを削り取ってでもその軸を変えない私を見て、母はそんな私を恐ろしい化け物を見るような目で見るようになった。
母に褒めて欲しいというところから始まったはずなのにそれでも構わないと思った自分に最初は戸惑ったけれど、本当に最初だけだったのでどうでも良くなった。

それくらいには、ピアノの連れていってくれた世界が魅力的だった。
出会わせてくれた人は皆素敵で尊敬できる人ばかりで、自分が全然敵わないと思うともっともっとそばにいさせて欲しいと努力する理由になって。
あのスポットライトに当たる間だけは、自分のために皆が時間を使ってくれていると思うと申し訳なさと同時にそれに見合うものを作り上げるのだと背筋が伸びた。

今、私は少し離れたところにいて。
でも、今までの人生で1番色んな人に上手だねって言って貰える不思議なところにいて。
今までそんな所にいたことがなくて、でもとても幸せそうに私の弾くピアノを聴いてくれる人がいて。

あんなに必死に練習してた頃は、下手くそって詰られたり罵られたりするのが日常で。
いちばん下手くそのポジションでも我慢できるからそこに居させて貰えてたのに。
ある程度上手いのは当たり前で、努力も何もかもが当たり前として消化されてたのに。

私のピアノって、もしかしたらとても素敵なものなのかもしれないって初めて思いました。
あの時間は無駄なものではなかったのかな。
自分のピアノが有用であるって証明、あんまり必要なかったのかもしれないな。

特には昔の話を、未来の自分に繋ぐ為に。