そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

そこそこ、を目指すために

 

今年23歳になる大学生の若輩者ですが、うつになりました。

 

一番の要因というのが、世間一般にみたところの「大変な家庭環境」です。

まあ、ネグレクトや暴力などではなく家族や自分の病気に苦しめられ。

 

「私」が壊れてしまいました。 

 

もう、生きることを頑張ることが苦しい。

息をすることに頑張らなければいけない。

もう、息をすることをやめてしまいたいと思いつめて、自分に包丁を突きつけたこともあります。

 

でも、今こうして息をすることができています。

そして、自分の足で立ちたい、と思えるところまで来ました。

 

まだまだ波もあり、苦しい日もたくさんあるけれど。

 

人生を一度諦めた人間が、砕け散った「私」の破片を拾い集めて新しい『私』になるための備忘録として、思ったことや、毎日を書いていきたいと思います。

 

 

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虚しく響く

私は誰よりも頑張っていた筈なのに。

 

努力した。我慢した。身を削ったし最大限を尽くしてきた。

でも実を結ばなかった。

私がサポートした人たちは私よりずっと少ない努力で実を結んでいく。

 

そのうえ、私のサポートはなかったことにできるらしい。

そうなのか知らなかった。

本人が頑張ったのはもちろんだけど、私だって頑張ったのにな。

 

そういえば、ゲームの製作の人がクレジットに名前が残らないから自分の仕事だと主張できないっていうのが問題になっていたな。

それと一緒か、そこには名前残らないもんな。

その人の記憶に残れば十分なのか。

 

私はそうは思わない、最低限の周知は欲しいしなかったことにされたくない。

苦しいところだけ全部押し付けて、何もありませんでしたって顔をしろというのは酷だと思うのは私だけか。そりゃそうか、押し付けた側は痛みを知らないのだから。

なんで我が物顔にできるのかわからない、口だけ助かったっていえばすべてが解決すると思っている。

 

そうなのか。私の犠牲はそんなもんなのか。

かっこわるいところ排除したら、私の出番いらないもんな。

もしかして、今の私邪魔なのでは?

 

ああそうか、私の不安はそこか。

 

負の遺産筆頭だ。私だけが強く記憶に焼き付けられている。

本当に苦しかった。なぜ私がこんなにも鼓舞しなくてはならないのかわからないまま頑張りたいとのたまう者に最善と考えられる策を練り与え文句を引き受け。

苦しいと言ったらこときれるから最後まで走り切り、力尽きたところでその頑張りを評価されて拾われたと思っていたのに。

 

そう思いたかったのだ。

蔑ろにされた人生を取り戻したかった。

私の努力が少しでも評価されたのだと感じてみたかった。

 

そんなのは私の思い込みでしかなく。

負の遺産筆頭であると同時に、犠牲者への償いのようなものだろうか。

それにしてはさらなる犠牲を強いたものだ。

 

私は、頑張ったんだよ。

 

虚しく響くその音を拾うものはなく、空気に触れて初めて震える音は酸素がないのでなかったこととなる。

 

宝物

 

寝る前のぽにょぽにょした貴女が抱き締める。

 

眠くなると起き上がり人形みたいに色んなところをころころぐりぐりぽふぽふ。

何かに寄っかかって落ち着きたいのは母譲り。

目を擦りながら色んなものを抱き締める癖は生まれた頃から変わらないね。

 

その中に私の手も入っていて。

自分の手を安心するものとしてカウントされることが初めてだから、あったかくてくすぐったい。

私もそんなふうに全幅の信頼を置いていたのだと思い出し、胸が締め付けられる。

 

私はずっとその存在であることが出来るだろうか。

あの感覚を味あわせないように出来るだろうか。

その為にはしてあげてると思わないための余裕が必須なのだと私はよく知っている。

 

パートナーからの抑圧やプレッシャー、期待しないようにする分その期待は子供に向けられて。

最初は要らなかったのに子育てへの見返りが欲しくなる。

そのラインを超えないように気を引き締める。

 

最初は100ある信頼を徐々に削がれるのは、親ではなく子の苦しみだから。

生きてる方が負担になるなと思った自分を一生呪う人生はとても辛いものだから。

それは、自発的ではなく仕方がなかったのだと思いたいから。

 

宝物はキラキラと輝き、美しいものであるよう磨き続けなくては。

ぐらぐらと

 

母になったら情緒は自分でコントロールできるようになると思ってた。

 

結局コントロール出来ずぐだぐだとパートナーにあたる私が本当に嫌い。

全然ベストが尽くせてないのは本当に嫌い。

こんなに素晴らしい子の親になれたのに全然その子に相応しい親になれてない。

 

もっとああすれば、こうしておけば。

出てくるのは後悔ばかり。

実を結ぶのは本当に本当に少し。

 

あとはもう全部愛しい子のお陰で。

子は勝手に育つとはこのことで。

すべてをこえた存在として、日々こつこつと出来ることが増えていく。

 

ごめんね、こんな母でと我が子に懺悔するほど腐っては無いので夫に全部ぐちぐちぐちぐち。

否定してくれることがわかってて、それでもその言葉が欲しくて。

変化が怖いのに、もうそれ以外は選べない。

 

息をするだけで必死な自分が人の世話などと思うけれど、じーっと見てるだけでなんだか頑張れる。

そこ!?っていうところが苦手だったりして自分でも引いてるのだけどなんとかかんとか。

本当に本当にバランスのいい子で、分かってるのに考えすぎる私のせい。

 

ぐらぐらと揺れるのは一生なおらないのなら、あなたに見せないためにはどうしたらいいんだろうね。

 

それでも一生懸命生きてる姿を見せるのとどっちがいいのか分からないなぁ。

 

一生悩み続けるんだろうな。

つみかさね

 

ひとつまたひとつ、私と夫の間を繋ぐ紐がふえていく。

 

いわゆる産後クライシス的なものは私たち夫婦の間にはありませんでした。

産後うつに近いものはあったけど、それは私自身の問題なのでどうにかこうにか立て直して。

それでも大丈夫って思える、バカポジティブな夫の言葉を信じ続けることが出来るのはとても彼が頑張ってるから。

 

大学から付き合い始め20歳そこそこで鬱になりそこからまあまあ色々あった中で築いた信頼関係はなかなかのもので。

結婚も子供も死ぬほど話し合い、ものすごい覚悟をもってしか進めない臆病な私をずっと応援してくれた。

そして、自分が望んだというプレッシャーもあったと思うのに全力で可愛がり愛して世界で1番大切にし続けてくれる。

 

もちろん、もうちょっとこうしてくれた方が私は安心できるとか色々あるけれど。

そんなことどうでもいいと思えるくらいには全身全霊で愛してると私にもちゃんと伝わってる。

まだ話さぬ子の幸せを想像するのは難しいことだけど、自分の楽しみと重ねて一緒に笑うのがとても幸せなことだと教えて貰った。

 

彼は私の味方だ。

私の幸せをちゃんと望んでくれている。

そのために、一緒に幸せの形もライフスタイルも全部全部変えてくれた。

 

そのつみかさねが私の中につもってちゃんと愛に変わってる。

 

何回でも立ち上がって頑張るからね。

静かに

 

誰になんと言えば、正しく助けてもらえるのだろう。

 

一番最初にやっぱりやだと言われてしまってから、誰にも頼れなくなった私たち。

もう大丈夫と言われたところで、今更どう頼ればいいのかもお互い分からず。

なんとなくあいた距離は一生埋まらない。

 

どうしたら良かったなんて、いや突然全てを投げ出してこっちのせいって言わなければ良かったのではなんて言えるはずもなく。

どうしようもない現実と睨めっこ。

これってどうやって動き始めるんだろう。

 

あの子はあんなに可愛いのに。

いや、可愛いほんとかわいいからやっぱり関わりたいって思うんだよな。

可愛いって罪だな、罪なのに完全無罪なんだからこんなにいいことないな。

 

みんな可愛い子を見ると欲しくなっちゃうらしいことを初めて知った。

羨望嫉妬からくる嫌味は本当にノーダメージなんだよなぁ、すごいなぁ。

私がドヤ顔しないように頑張ってはいるけど、絶対ドヤ顔してしまって本当にごめんなさい。

 

それなのにこんなにしんどいのはなんでだ。

親としての自覚がないからなのか。

それよりも、やっぱり静かに沈んでいくのか。

 

恐らくパッと見平気そうなのがよくない。

表に出す練習も虚しく、どうしようもないらしい。

今回ばかり使える最終手段を取ることになり、そこまでのカウントダウンでギリギリ息をする。

 

子供は静かに溺れるって本当なんだな。

 

ちゃんと気づけるように意識しておこう。

やっと愛せる

私にくれなかった愛を、私が愛する人にくれること。

 

私がずっと欲しかった言葉が、言って欲しかった人の口からぽろぽろこぼれる。

嬉しいような虚しいような、でも1番は安心してる。

一欠片の希望は確かにまだ輝きを保っているのだと、まだ大丈夫だと。

 

もう二度と本音を言わない代わりに、大切なものを大切にしてもらうことを選んだ。

どうやっても縁を切る覚悟が決められなかった私にとって、この選択が出来たことは間違いなく救いだった。

そして関わる度に、私のことはもう二度とちゃんと見ることはしないのだと実感する。

 

それでいいのかと、問いかける自分がいる。

じゃあどうするのかと逆に問いかけると黙る。

結局正しい答えなど存在しないのだ。

 

私は納得しているのか、かどうかは多分彼女の口からあの人の印象を聞いてから決まるのだと思う。

私の代わりにあの子を愛してくれたら初めて私はあの人を認識できるし、愛されなかった私はもう存在しないのだと長い時間をかけて受け入れていける。

本当は向き合えたら理想なのだろうだけど、それは一生叶わないのだとやっと理解した。

 

でも、やっと愛せる。

 

本当はずっと愛したかった人を、歪な形だけどきっと正しく。

尊いもの

昨日よりも今日、愛しいものが増えていく。

 

目まぐるしい変化と確立する自我を目の前に、ただついていくだけでいっぱいいっぱいの日々。

やることが減っては増えて、できることが増える度に活動範囲が広がっていく。

表情は豊かになり、愛しさは増していく。

 

人間だったのだなと、当たり前のことを思う。

抱っこすら躊躇われるほどふにゃふにゃでこわれそうな存在は、歩きたくて一所懸命頑張っている。

やりたいことが出来ないもどかしさを一緒に経験して、頑張る姿をただ応援するしかないもどかしさを知る。

 

ああ、なんて愛しいのだろう。

それなのになんで私はしんどいのだろう。

どうしようもないことはこの世にたくさん存在するのだなと身をもって知るのは辛いことで。

 

でも、日々は進み止まることは許されず。

それが救いになることもあって。

またひとつ強くなる。

 

尊いものを護るため、どうにかこうにか生きていく。

 

私もまた、尊いものに生かされていく。