そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

本音と建前

自分の中にある本音と、立場とか役割とか考えた末の建前が交錯して首が絞まっていく。

最近は、抗鬱剤を飲んで安定剤を飲んで睡眠剤を飲んでも絶対に安心して眠れることが無くなってしまいました。
彼の入院が思いの他自分にとって大きく疲れることだったのだと実感します。
それでも、日々が普段通りに戻っていると思える周りの人に私だけ置いていかれてしまった。

何事もなくてよかった。
検査をして色んな結果が出て特に問題も無いことが証明されたのだから尚更よかった。
彼の家族がかけてくれていた保険のお金は貰えたし、なんなら臨時収入やったねって。

これは、建前。
本当に心からこうやって思えているかと問われたら、私は無言を貫くでしょう。
そんなふうに思えるのは、健康な心が必要で。

本人はいいよなぁ。
入院=大変で無条件で心配されて大切にされて、奥さんも大変ねって言葉は本人が大変であなたもねってことだというのは知ってるから。
やってあたりまえ、本人は何も出来ないのだから出来るだけ負担を減らせるように全力を尽くしてそれを甘受し当然として不平不満を述べるのだから。

ねぇ、私は?
君のいない家でひたすら洗濯をして不安を押し殺し、早く夜が明けることを願いながら涙を流した私の疲弊しきった心はどうしたらいい?
役に立ったのだからとこれからの保険料の捻出を行い四苦八苦する私の気持ちは?

何も無かったからよかった、なんて口が裂けても言えないんだけどどうしたらいいのかな。
私が非情で冷たい人間だから貴方への気持ちより自分の苦しさを主張したくなるのだろうか。
当人が一番大変って貴方が言ったら意味が無いと思うんだけど、私は一切あなたが大変だったなんて思えないよ。

ぐるぐるまわる、本音と建前が。

逆転してしまえばずっと楽になるから早く納得してくれ、私が一番面倒くさいのだ。