そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

合格点

少し調子に乗りすぎまして、程々にしときなさいねと神様から叱られた気分です。

先日調子がどうにも低空飛行過ぎて疲れてしまって、安定剤を規定量ギリギリまで飲んだら普通の時間に起きて普通に起きていられたのです。
嬉しくて次の日もそれで飲んだらまあ朝起きれず。
起きようとしてもぐわんぐわんと世界が歪むし眠いしで散々な結果となってしまいまして。

お薬はあくまでどん底をそこそこまであげるだけ。
そこそこを普通にはしてくれないのです。
そんなに怒らなくてもいいじゃない、私だって普通の生活送れるかもしれないって少しだけ夢見ただけですよ。

まだまだ自分に課すハードルの高さや期待値が高めなのかなぁと反省中です。
以前に比べたらずっとずっと低くなったと思うのですが、心のどこかであれが出来ないならせめてこれくらいはという気持ちが消えないのです。
旦那さんからは、そんなこと求めてないからしなくていいのにと言われるんですがまるで期待する価値がないと言われてる気がして苦しい。

きっとそんなことでは無いのでしょうね。
知っていますが、分からない。
言っている意味が理解できない。

不思議だ、あなたは人から好かれることにれることにてらいがないね

という漫画のセリフがありまして。
てらいがないというのは自分をよく見せようとしないという意味らしいのですが、私は恐らくここは違うと解釈していて。
好かれること、愛されることに気取りがないとくに躊躇や葛藤みたいなものはてんでなくただ享受出来るという意味だとおもいます。

そんな人は、結構いるもので。
旦那さんとか私の妹とか、愛されることに疑問など持ったことも無く家族だからとか恋人だからという理由で納得出来るらしいのです。
その愛が偽物がどうかなど当人たちは疑問も持たず、どんな理由でどんなに見せかけで見返りを求めていても愛であるのだからと受け取るのです。

それは、きっととっても無条件に愛された人の特権

私は、人から愛されることが怖い。
目の前で自分への愛が偽物だと親から宣告されて、もう一度裏切られたらきっともうめちゃくちゃに傷付いてもう二度と起き上がることは無いでしょう。
大切だ、何もしなくてもいいなんていう綺麗事は本当にキレイな言葉でしかなくて響かない。

それでも、何度でも言葉にして長い時間をかけて態度で愛してくれた人に応えたい。
この人に裏切られた時は全て終わる時だとしても、この幸せをくれた貴方に応えたい。
そして、愛された私をわたしも愛してあげられるようになってみたい。

まずは、合格点をあげられるようになりたいな。

生きてるだけでいいって花丸が躊躇いなくあげられる日がいつか来ますように。