私の嫌いな所は不器用な所と人の気持ちが見える所。
私は、私が嫌いだった。
今は昔よりは好きになったけど、依然として愛することは難しいというのが現実で。
思い出すのは嫌な思い出ばかりで、全部私のせい。
見栄っ張りの癖に不器用で、その割には完璧主義。
自分にも他人にも厳しくて、誰かと共には居れない。
だけど、誰かと一緒にいたくて学校では基本的に2人で一緒に居れる人を探してずっと一緒にいた。
嘘が嫌いな割には怒られることの方が怖くて誤魔化して、後々後悔することの方が多かった。
でも誰かに愛されてみたかった、愛してみたかった。
どんな風に愛すればいいのか今でも分からない。
結果としてまともに働けない私は、彼が病気にでもなったりしたらとてもとても困るだろう。
彼のくれるものの半分も返せていない割には色んな病院に行かなくてはいけないけれど、ひとつも病名は明確なものは無いような気のせいの延長線かもという気持ちが拭えないものばかりだ。
でも、あめりがいるから家事とかも特に労力には思わないだけだよ
あめりが居なかったらお金は使わなかったかもしれないけど貯まらないよ
僕が、それを望んだからね
と、本当になんでもないように心から思える旦那さんが本当に優しくて温かくてこんな風に愛されたかったのかなぁと思うのです。
これからもいっぱいぶつかって話し合ってを繰り返すのだろうけれど。
決して諦めるような関係にはなりたくない。
そうならないと思えたから、共にいることを選んだ。
たぶんきっと、上手くいくことばかりではないから
だからこそ君と共にありたいと望むのだろう