そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

慈しみ

自分のことを自分より大切にしてくれる人がいるということ。

私のことを、世界でいちばん大切にしてくれる人がいると確信出来て初めて見えるものがいっぱいある。
人間を育てるというのはとても大変なことで、習い事もお金がかかるピアノを選んで続けさせるというのはとても大変なことだったとか。
小さい頃に、預けられた祖父母の家でとてもとても甘やかされて今でもその夢を鮮明に見る。

私は、確かに愛されてここに存在する。
伝え方とか、方向が歪んでしまっただけで別に愛されていることに違いはない。
ただ少しだけ、愛してくれた人達の中で私の存在価値が変わってしまっただけ。

体調が少しでも悪そうな旦那さんを見ると、とてもとても不安になる。
何度も呼吸をしているか確認して、吐息と身体の動きがあるのが分かっては安堵する。
どうか、生きてるだけで。

いつもはそんなこと思えない。
ご飯を作ってくれたり甘やかしてくれたり掃除とかしてくれたり、私を大切にしてくれてることを態度で表して欲しくて仕方なくて。
そうしてくれないと、自然と不機嫌になる。

でも、そうしてくれなくなる日が来ても私は旦那さんと一緒にいることを間違いなく選ぶ。
何もしてくれなくても、何をしてくれても旦那さんの価値など変わることは無い。
彼が大切にして、変えてくれた私の価値観はそこから変わることはもう無いのだと思う。

目に見えないものを、ひとつひとつ確認して私に示し続けて今でも続けてくれる。
そのひとつひとつが愛だと教えてくれたこと。
愛される為には愛さなくてはいけなくて、でもそれは自然と成り立つように一方通行にならないように出来ていること。

いつからか、慈しみに変わったその愛が私の人生をとても豊かで幸せにしてくれたからもうそれでじゅうぶん幸せなのだ。