うつになり「私の幸せってなんだろう」とずっと迷い続け、それでも生きていくことを決めました。
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ここに至るまで、病気になるまで。私は迷ったことなどありませんでした。
自分の幸せは自分で決めるのだと信じて疑ったことなどなく。
私におまえはそんなことできないと言われたことを1つ1つできるようになって見返すことが一番の幸せでした。
言われる過程で傷ついた自分は弱い人間だからと自分を叱責し詰り奮い立たせて。
弱い自分を見ることは逃げだと言い聞かせて。
そして折れてしまった時に自分が一番自分に絶望して。折れた理由も自分に降りかかってくる沢山の試練に耐えられなくなったという自分の弱さを突きつけられたような理由にただただ失望して、生きる理由を見失いました。
はじめて、自分の幸せに、在り方に迷いが生じました。
見返すことって私を傷だらけにしてまでやらなきゃいけないことだった?
できないことをできないと認めることってそんなにだめなこと?
私それでちゃんと幸せって思ってた?
私、生きていても幸せって思えない人生を送ってきたんじゃない?
振り向いたときには、自分の感情が動かなくなってから長い時間がたっていました。
いつから私は私を置いてきてしまったのかも分からないほど。
喜びも幸せも感じることができない事に気づいて、私は生きたいのかよく分からなくなってしまいました。
私ってどんな人間なんだろう。
一番自分が幸せだなって思うときっていつなんだろう。
私は、どんな人間になりたかったのかな。
私の幸せってなんだろう。私が生きる意味ってなんだろう。そうこうしているうちにできないことばかりが増えていき、重荷となっていくのをひしひしと感じ、不必要な人間なのだと思い知らされるばかりでした。
ごはんの味がしない。眠れない。小説を読んでも心に響かない。悲しいことばかり思い出しては涙を流し夜が明ける。
回復に向かうこともなくだらだらと時間だけが過ぎて、命を終えるタイミングを見計らいながら生きていました。
そんなときに、「おまえは邪魔」と言われて存在を他人から否定されるできごとがありました。
お前がいるからいけないのだと、どこかにいってしまえと言われました。
本当にそうだなあ、と。ちょうどいいなと思いました。
そうやって言われる原因であり、踏ん切りのつかない原因であった人にそう告げると。
泣きながらやめてくれと懇願されました。
何もできないけれど、絶対に嫌だ。と頑として譲らないその人を見て。
ふと思ったのです。
誰かに生きてほしいと懇願されるような人間が、不必要なのだろうか。
何もできないけれど、その分私ができることがあるのではないかと考え始めました。
私ができることでもこの人のためになるのかもしれない。
この人が手を離すそのときまで、この人の幸せに力を尽くそう。
そのために、私はもう一度自分の足で立ち、今度こそ自分のために生きよう。死ぬのは、それからでも遅くない。
そう決めて、もうすぐ一年になります。
長かったような、短かったような不思議な時間でした。
自分が一度人生を諦めて全く違う生き方を選ぶなんて、思ってもみなかったけれど。
自分が一番最初に描いていた幸せよりもずっとずっと幸せだと思います。
今日もご飯はおいしいし、風は気持ちがいい。
眠れない夜はアロマランプをつけて、小説や漫画を読んで涙を流そう。
できないことよりも、できるようになったことを数えて生きていきたい。
そんな風に考えられるようになって、よかった。
そう思えるような自分になってよかった。
心から、そう思えています。