自分の大切な人が自分のことを大切にできないということがどれだけしんどいことなのかを痛感します。
これまで、自分のことを大切にしないことは自己責任であると信じて疑ったことはありませんでした。
責任を誰かに任せることなどしないし自分が背負うのだから。
私が私のことを嫌いだということは、墓場まで持って行くのだと決めていました。
そして、大切にしたい人に出会って。
自分より大切で自分よりも幸せであってほしいと願っている人が自分を大切しないなんて考えたくありません。
貴方の幸せが私の幸せなのだと知って欲しい。
どうか、分からないなど言わないで。貴方がどれだけ大切に、愛されるべき存在なのかを分からないなんて言わないで欲しい。
そこで初めて自分の愚かさに気付いたのです。
自分のことを大切にしないということは、自分のことを大切に思ってくれている人への裏切りだということを。
責任などの問題ではなく、ただ健やかに幸せに生きて欲しいと純粋に思うことがあるのだということを。
そして、自分にもそうやって思ってくれる人が存在することがあるのだということを。
そして、今そうやって生きてきたツケを払っています。
これからも、時間をかけて払っていくのです。
自分の愚かさを呪い、もう二度と自分を傷付けないと心に誓い続けながら。そうやって生きていかなければなりません。
痛くても辛くてと私には音を上げることなどできないし、しません。
4年前の夏、私は死んだ。死のうと決めた。
あの時の私は、本当に知らかった。
人生がひとりではないということを。
人を愛するということが自分にもできることを。
自分のことを大切にできない私はもういない。私は絶対に、もう二度と私を大切にしてくれる人を裏切らない。
1度捨てた人生です。どんなものになったとしても受け止める覚悟などとうの昔にできている。
ならば、どんなに汚れようとも貶されようとも何度でも立ち上がってみせましょう。
これから起こる、たくさんの嫌なことも辛いこともひとつずつ乗り越えていかなくてはいけないのだから。
さあ、踏ん張れ!