そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

隣にあるもの

生まれるのはこんなに大変なのに、消えるのはこんなに簡単で。

割と近い人の悲しい報せを聞いて。
やるせないような、苦しいようななんとも飲み込めない感情が込み上げてきて。
正直私は、その人の人生に手を差し伸べられなかった。

多分もっと出来ることがあった。
でも私はしなかった。
謝ったら許されるのだろうか。

正直許される、という程の罪を犯したつもりはない。
でも、私はその手を振り払った。
一方的に縋るその姿を見て、それは出来ないと距離を置いた。

搾取されると分かっているところにわざわざ首を突っ込むのは嫌で、自分を優先した。
それが非情だと言われたらその通りだし、こんな気持ちになることは許されない気がする。
もっと長く生きることが出来たかもしれないというのはあまりにも奢った考えのような気もするし、本当にそんな気もする。

私は多分その人の希望で理想だった。
こうあってくれたら、こうなってくれたら。
そうしてあげてほしい、どうにかしてほしい。

それは出来ない。
そこに来るまでの過程を見てないからどうにかして欲しいと思うのであって、仮に少しでも見ていたらそんなことは考えないと思うのです。
苦しく、辛い道のりは一人で歩むのだと分かってからがスタートで。

パートナーはただ応援してくれる人、背負ってくれる人じゃない。
荷物は今は沢山持ってもらってるけど、それは全てが終わってからの話。
誰も代わりに世界を変えてくれない。

それは、全部終わったから言える話で。
渦中の人に何を言っても伝わるとは思えない。
一番苦しい時には見て見ぬふりをしてた人だし、尚更現実は受け止めきれないだろうなと思っていたから。

実際、間に合わず耐えられなかった。
ゆっくり解かれようとしていたものは、あまりにも固く頑なで長い時間をかけてつくられたものだったからどれだけの時間をかけなくてはいけないのか考えると途方もないような何かきっかけがあれば一瞬のような。
そのきっかけがなければ永遠に続くのでは無いかと思われるその時間は、あまりにも長い。

それに耐えられないというのも、また理解出来る気がするのです。
私は結局ここまではやりきると踏ん張って、頑張った先に結果として幸せに繋がるものが待ってたから今生きているだけでその時は役目を果たしたら居なくなろうと思っていた。
本当に奇跡で、運が良かった。

分かった気がしてるだけなのでしょうけど。

先の見えぬトンネルは苦しかっただろうな。
いつ終わるかなんて答えのない問いに誰か答えてくれる訳でもなく、消耗する自分とどうにもならない現実はただただ絶望するだけで。
病は権利だとぽそりと呟いた家族の言葉を思い出し、それもそうかと少し腑に落ちる。

浅はかな私は、自分の中で収まりをつけたい。
どうしてこんな気持ちになるのか、その資格はあるのか。
悲しい気持ちになるのに資格はいるのか。

どうなのでしょう。

分かる日が来るのか、来ないのか。

生きるものの隣にあるものなのに、いつだってその存在を忘れてしまう。

忘れてるから生きていけるのだと、心から思う。