これまでの日々とこれからの日々の境界線がそこにあるとして。
不安と期待を抱いて、ひとつ扉に手をかけて。
この扉は1度開くと戻れない。
私たちの責任で、私たちの選択で。
今だ、と思った時。
怖くていっぱい話し合いをして言い合いをして、彼に当たったりして。
全部を飲み込む覚悟を決めて。
それでもこんなに早く、なんて思ってしまうから私はダメなのかもしれない。
決めた覚悟すらゆらゆらゆれるのは、しんどさゆえか予測よりはるかにこえるからなのか。
そんななのに、嫌だと泣いてしまうのはなんと傲慢なことなのか。
好きな漫画の一節に。
不幸?
ああ、昔は不幸だったかもしれないな。
だが「新しい不幸な子」を生んだ日からオレもお前も立派な「加害者」だよ 赦されない
というのを読んだ衝撃を私は多分一生忘れられない。
負の連鎖は確かに存在するし私はそれをしないという確証はない。
何より、私は加害者となり赦されない存在となり得るという責任とか色んなものがどんと載っかるのだと実感したのです。
そんな覚悟はあるのか、と。
彼と共に過ごし、嫌なことも幸せなことも一生許せないことも許されないこともあって。
それでも幸せなのだと思った時に。
初めて、寂しさや苦しみを凌駕する幸福を知る人が増えたらそれはとてもいいことなのだろうと想像して。
私が貰えなかったものを渡すことが出来たら、いらないと言ったものをちゃんと預かることが出来たら。
愛してるという言葉を疑わずに受け止めることが出来たなら。
それはとても幸せなのではないかと。
今私が貰ってゆっくり学んでいるを、最初から一緒に考えて学ぶことが出来たなら。
加害者になる覚悟と恐怖は、人を愛する上でとても大事なものなのかもしれない。
それでもなお、人を愛することが出来たなら。
愛は分かつものではなく、あればあるだけ増えていくと教えてくれたから。
愛するのも愛されるのも、同じくらい人を幸せにすると教えてもらったから。
今度は私が、いや教えるのは烏滸がましいから出来たら一緒に。
人生が変わる時、私は何を思うだろうか。