そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

愛しい人よ

そこにある愛に、気付いてほしい。

私の祖父母は、元々学校の先生と生徒。
先生であった祖父が気の強い祖母に言い寄られて結婚したということなのですが。
私には少し疑問があって。

そんな迂闊なことをするような人か?
時代であったといえ言い寄られた生徒に手を出すなんて、一歩間違えたら懲戒免職もいいところ。
そんなリスクを背負うことを、誰かの責任にするような人ではなかったと思うのです。

優しくておおらかな人でしたが、そんな何も考えてない人だと思えない。
生徒からのラブコールと愛の告白に根負けした?
いやいや、そんな受け身な理由で自分の教師人生投げ出すような人ではないし祖父は登りつめました。

理由はひとつ、深く深く愛していた。

気付かれないように、気負わせないように全力で気を付けながら。
気の強い祖母を傷付けないように細心の注意を払って、恐らく自分の犠牲も厭うことなく。
気の強い人は打たれ弱い、そして繊細であるからそんな祖母を生涯をかけて愛し守り続けた。

そこまでと思いましたが、今は分かる。
どんなに傷付こうと大変なことになると分かっていようと、その人の笑顔は幸せは自分が守るのだと愛するのだと思えば。
その人の為にならば何を差し出しても惜しくない。

自分の非を認められる素直さや見返りを求めぬ優しさ、人を真っ直ぐ信じて疑わない所や難しく生きることへの苦手意識。
全て全て私にはなくて、とっても素敵な所。
失われないように、あなたのそんなところが好きだと伝え続けて守り抜きたいもの。

祖父もきっと、同じように思ったのだ。
純新無垢で疑うことの知らないまっさらな気の強い女の子、誰よりも繊細で頑張り屋なのにそれに気付かず家族に蔑ろにされる彼女を。
自分が幸せにするのだと決めたのでしょう。

それだけ、人を愛するというのは尊く優しく愛おしいものなのだと気付かせてくれるというのは凄いことなのだ。
私には無いなにかをもってるあの子がどうかどうか傷つかないようにと思うのは当たり前で。
自分の強さとか弱さとか全てを包み込んでくれた人にどうか幸せであるようにと思うのは自然のこと。

愛しい人よ、どうか気付かず幸せであれ。