そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

祝い、望まれ

私の選択が、どうか祝福に値するように。

祝福されない悲しみを、苦しみを知っているからこそ。
尚更、欲しくてたまらない。
何をするにしても、あまり嬉しそうでない人達の顔ばかりが記憶に刻まれていて。

意地をはっていたから、という理由ではとうてい納得出来無いほどに深い傷がずっと心にある。
でも、私は大人だから許してくれるよねとなんだか怒ることすら出来ない雰囲気で。
傷ついた私はそのままで、傷を癒すのは到底出来そうもないまま。

常に自分に問い続けるのです。
私の選択が皆をそうさせているのではないか、そもそも存在していることが間違いだったのだから仕方ないのではないか。
祝ってくれない人達のせいではなく、望み通りに動かない私の責任なのではないか。

その問いは、いつか終わるのでしょうか。
祝って欲しいと思うのも、望んでないと糾弾されたくないのも全部ぜんぶ私の我儘なのでしょうか。
この悲しみは終わる日が来るのでしょうか。

正直、もう来ないのかなと思う。
どれだけ幸せなことが起こっても、必ずそこにはしなくてはいけないことや哀しいことが付いてきたし無かったことにはしてくれない。
悲しみが終わる時は、きっと幸せも終わる時だからそれはとても寂しいことだから。

祝い、望まれた選択を出来ない自分を恨まずにいられる日が来るといい。