そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

犠牲

ここに来るまで、沢山のものが犠牲になった。

しあわせだな、と最近は比較的思います。
随分と贅沢な話で、これ以上のものはない。
でも、いやだからこそ眠れない時や身体の周期の不調な時など偶に考えることがあります。

私どこで間違えたのだろう。
お金もないのにピアノを選んだところ?
どこを間違わなければ、こんなに自分のことを犠牲にしなくてもすんだのだろうか。

私を消耗品とした家族親族。
私が苦しむのを見ながらも離さなかった彼。
酷い様の私と一緒にいさせたくなくてそんな彼の為と言いながら散々にこき下ろした義家族。

結局、そんな人達と離れることが出来なかった甘い自分自身が一番私のことが嫌いなのかも。
彼らの語る優しい言葉と、普通の響きが魅力的で私もなれるかなって思って。
でも、私はなれなかった。

人と関わらずにピアノに捧げた幼少期を取り戻すのは難しかったし、取り上げた母を憎むことすら出来なかった。
それでも諦められなかった私は強かったし、それでもいいって思える人間だった。
ピアノを取り巻く人があまりにも輝かしくて羨ましくて苦しかったけど、原動力にしかならなくてそこに行きたいとしか思わなかった。

時間も自分の心も、何もかも返ってこないのにそれでもいいって思える所まで来てしまった。
大人になったなぁ。
諦めるのも上手くなったし、隣にいる人も選べるようになった。

彼のことはとても好きだし大切だけど、あんなに私に犠牲を強いた人なのだとちらつく時もあるし彼もそれを知ってる。
それでも一緒に居ることを選ぶあたり、大人になったのだなぁと思う。
何も犠牲にしない人生など、存在しない。

犠牲と成果と幸せを照らし合わせてバランスをとる。