そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

人生の幸せ

私の幸せ、ってなんだろう。

私は、教育系芸術専攻の国立大卒業で。
入試では楽器演奏と声楽と楽典という音楽の基礎知識とか、完全に音楽系のもので。
周りは、親から音楽をすることを肯定されて学費も応援されながら出してもらってるちょっとしたお嬢様おぼっちゃんばかり。

母が倒れた段階で、自分が主導権を握れたと思って散々口を出し始めて言いたい放題で精神をすり減らしながら音楽系に進む人なんていなくて。
本当は私立の音大にすごくすごく尊敬している恩師がいてその人のもとに行きたいという気持ちをぐっと堪えて、ただピアノを弾いても怒られない推奨される場所に行きたいという気持ちだけで国立大学を受験して出会った人達はとても幸せそうで。
それなのに、私にはもっともっと大変な事態になっていくのはなんでなんだろう。

絶望しながらも、せめてピアノだけは取られないようにと完璧にこなして必死な様子にはならないように全力を尽くして。
それならあれもこれもと責任と仕事を押し付ける親にも余裕な顔をして引き受けて。
最終的にはサンドバッグになって、これはヤバイだろうけどまああめりならどうにかしてくれるでしょと見て見ぬふりをされて。

潰れた私は、用済みで。
それでもいいなんて言って貰えなかった。
言ってくれたのは何も出来ない旦那さんと、中学生の妹だけで。

そんな2人が居てくれるのが救いで、その2人のために私がやらねばと思う出来事が起こって。
君がやるならと手を差し伸べてくれた、本当に力強い手があってその手に縋り付いて卒業まで漕ぎつけた。
楽しいことばかりではなかったけれど、確かに今私は幸せで。

それは、私が逃げなかったからだ。
逃げた先の次の標的になるところに居る人が、とてもとても大切な人でその人を傷付けることだけは嫌で。
それならば私の方がどうでもよかった。

私如きの犠牲で済むのならば、なんの抵抗もなくただ私の幸せを祈ってくれた彼女に幸せがあるのならばと思わずにはいられなかった。
そんな私でいいと言ってくれる稀有なパートナーに恵まれて、その人の幸せも私が守ると決めてから私はもっと強くなってでも弱くなった。
彼の持ち込む問題は、全部私をズタズタに傷付けるものだったけれどそれでも嫌いになれない程深く他人を愛せることを知った。

その頃に比べたら、それはそれは幸せで。
私の事を詰る人はいないし、夜に泣いてたら寝惚けながら優しく抱きしめてくれる人と実家に顔を出すと嬉しそうに寄ってくる可愛い女の子がいる。
私の幸せは、そんな2人を見ることだったから。

私も人生の夏休みを快く推奨してくれるパートナーがいるということが、何よりも私の心と身体に良くて。
これからは、頑張って健康でありたいと思えるようになってそれはとても幸せで。
私の幸せを私が考えられるようになった。

人生の幸せは、どんな人生かによるけれど今が幸せと言えることが何よりだと信じる。