そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

理解せずとも

私の気持ちをわかって欲しいなんてさらさら思ってない。

彼には出来ない。
でも、彼は私を大切にして愛することが出来る。
その気持ちが行動が、その覚悟が本物だと私に思わせることが出来る人なのです。

正直、上っ面な心配顔が1番腹が立つ。
大丈夫なの?大変だね
あまり思ってないことって結構伝わってくるもので、本当に大変な事が起こっていることが理解していないと自己紹介しているようなものだと思っています。

理解してあげよう分かってあげよう、私ならわかってあげることが出来る理解してあげられるという驕りが分かるのです。
同じようなことが同じような年齢の頃に起こったとかならばわかりますが、全く違う状況を自分もあったと言われて延々と話されるのは正直苦痛。
自分の方が大変なのだというアピールは、心配だからという枕詞をつければいい訳では無い。

理解なんてしてもらわなくていい。
私の義母は、勿論私の幼なじみの母でもあり私の実母の友人でもあるので諸々の事情も知っているのですが。
この話を貴女で止めて欲しいことと多分大丈夫なことを伝えたら、大丈夫かと一言問うたあとは随分苦い顔をして何を言えば良いのかという表情をして暫く黙っていました。

私は、この人のそういう心の底からの心配や想いが溢れてしまう所がとても好きでこれからもこの人のことを嫌いになることなど無いのだろうなと思います。
どんなことを言われてもされても、心の根幹のところが善であることがとても素敵な人だということは知っています。
理解出来ないことを無理矢理理解しようともせず、何かを押し付けることもなくただ思いを馳せてくれるのもひとつの優しさ。

理解せずとも、そこに想いがあるのなら。

それはきっと愛なのだと信じている。