そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

寛容

カッコイイから可愛いになったらもう戻れない、愛しいになったらもう終わり。

SNSでふと見かけた言葉なのですが、確かにそうなってしまったなぁと思いました。
ここから先はものすごい惚気話となりますので、それでも良いという気持ちの時だけお読み下さい。
格好良いとはあまり思ったことなく、何度も言って彼には本当に申し訳ないのですが私は少しダサいくらいが好きでして。

まあ顔は本当に格好良いと思うのですが、いかんせんカッコつけられないそのギャップが堪らないのです。
大事なところでは大概外すのを見ていると、可愛いを通り越して愛おしくなってくる。
以前は、そういうところを見ては何やってんだろうと思ってがっかりしたりショックを受けて。

自分のこと好きじゃないから気付いかないのかな、とか不安になっていたのが嘘のよう。
まあ、そんな理屈ではないと私も学んだだけですが。
何より私も柔らかくなった。

もっとネガティブで粗探しばかりする人だったのに。
人の粗を見ると数十倍の粗が自分にはある気がして、勝手にひとりでへこんで旦那さんに当ってを繰り返し続けて。
誰かの粗を許して愛せるようになって愛おしくなってから、私は私を許せるようになったのです。

誰かを許すということは、自分のことも許せるようになるということで私は誰よりも私のことを許せなかったのだと知りました。
こんなことも出来ないあんなことで勝手に傷ついて被害者ぶって誰かを責めて恥ずかしい、全部自分のせいにして責めて苦しくなっていた。
そしたら凄く楽になりました。

私は私に厳しいままだけど、寛容は甘えではないと知ってからはずっとずっと生きやすくなった。

だからこそ、苦しいことも増えました。
守りたい、大切にしたい誰かがいるということは恐ろしいことなのだと思うのです。
誰よりも何よりも幸せになって欲しいと思うと、人はどこまでも欲張りになる。

寛容さと生真面目さも、いいとこどりしていこう。