そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

協和音

世の中の和音、重なり合った音たちは不協和音と協和音のふたつに分けることができるとされています。

不協和音、というと居心地が悪い音を表す言葉として使われますが本来は協和音ではない和音を主に指すものです。
振動比というヘルツの数字に基づいて判別されていますが、未だに定義としては定かではない。
不協和音の中にも、うつくしい音楽は存在する。

代表例としては、ドビュッシーアラベスクです。
2つのアラベスク/2 Arabesques - ドビュッシー - ピティナ・ピアノ曲事典
まさかあの曲に不協和音が?というような曲ですが、他の方の文であったものなのですが協和音と不協和音が絵の具をおりまぜるように重ね合わせるのです。

そこにあるのは美しい音楽。
確かに、綺麗だと思うけれど。
でも、私は共感できない。

という話をPSYCHO-PASS2というアニメを見終わってそのアニメの価値観というか世界観が音楽にも言える所があるねという話に発展したところ。
え、ルールを破るのには快感があるよねと彼が言ったのを聞いて、その意見にも全く共感出来ない自分にも驚きました。
背徳感というのは気持ちがいいでしょう?と言われて例に挙げられた深夜のラーメンという言葉に、それは確かに美味しいけれど罪悪感も強くて快楽には支配されることはない。

私にその快感を歓びとして享受することは出来ない。

不協和音は居心地が悪いからこそ美しい。
ぶつかり合うことにより生まれるのは、暗さと不気味さでその色は暗色であってほしい。
真っ黒の中にあるのは透明であると私は信じている。

協和音は、正しい和音。
並び方にもルールがあって、そのルールを守って初めてその美しさを発揮するのだけれど。
その並べ方を人は才能と呼んで崇め奉る。

ルールを破っても美しくても美しくなくても音楽であることには変わりなく、聞くのも演奏するのも選ぶことが出来るのです。
私はそのルールにそった規則正しい配列に美しさを感じるので、人の感性とは本当にそれぞれで全てが正しく素晴らしい。
だからこそ、どんな演奏家も芸術家も存在することが出来てどれが1番だなんて決めることはない。

私は、並べ方はよく分からないけれど並んだ音から美しさを感じ取るのは大好き。
だからこそ、聴いてる人にも伝わるような演奏方法をずっとずっと考えている。
でも、そんな難しことを長い時間考えるのは今の私には難しくて楽器すら触れないことも少なくなくて。

こんなので、好きって言ってもいいのかな?

まあ、好きって思うのは自由か。

協和音のように正解か不正解かが曖昧なのも悪くないでしょう。