私は、2年前の一番うつのひどいときに、自分の存在価値がマイナスだと考えていました。
今自分の存在価値を見出せるかといわれるとなかなか難しいのですが、そのときは生きていて申し訳ない。死んだほうが私の周りの人のためになると信じていました。
どうやったら周りの人に迷惑をかけずに命を絶つことができるのか。
それについてずっと考えていました。
自分が存在していても申し訳ないだけだから生きるのをやめたいけれど、迷惑をかけては本末転倒である、というところでずっと悩んでいました。
その当時は大学もやめようと思っており、抗うつ剤も転々とし自分に合う薬なんてあるわけがない。何もできない私が生きながらえるなんて申し訳ない。
ずっとマイナス思考から抜け出せずただただ辛いだけの毎日を過ごしていました。
私には自傷の痕がありません。
誰にも心配されることなく、迷惑をかけることなく命を絶ちたかったからです。
誰にもそんなこと話せないまま、鬱々とすごしていました。
そのときに、私にとって大切なことは『妥協』でした。
こんなこともできないなんて私らしくない。
そんなの私じゃない。
そう思うことが、自分を一番傷つけていたのです。
どんな私でも、私。
そう思えるようになるまでにとても時間がかかりました。
息を吸って吐くことがとてもつらいときに、生きることがどれだけ重荷か。
それでも自ら命を絶つことさえできない優しい人がいるのだとしたら。
私は自殺が悪なんて思えないんです。
でも、生きてみても悪いことばかりではないと思える日が来るとしたら頑張れる気がしてくるなら。
こうやって思えるようになった人もいる、と知ってほしいと思っています。