あの時渇望したものが、私の手の中にある。
母が倒れた高校生のあの日から、私はひとつだけとっても欲しくて仕方がなかったものがあって。
ずっとずっと、それだけを探しながら生きていた。
こんな思いをわたしのまわりのひとがしなくていいようにと願いを込めながら、徳を積めばきっと私にも貰えると信じて。
本当は、もっと前から欲しかったのだと思う。
全ての努力が『当たり前』になったあの日に。
いつかくれると信じた人に目の前で裏切られたあの日にも、いつか私にも現れると信じて。
信じることに疲れた時からは、それは自分が作り出すのだと信じて必死にもがいて足掻いた。
どれだけ空回りしようと無様だろうと、私のことは私が奮い立たたせて自分の居場所を作ろうと必死で。
あまりにも否定されるものだから、きっとそうなのだろうなぁと心では諦めつつ口には出さないように努めた。
欲しいものなど無くなった。
欲しいものは全て自分で手に入れる手筈を見つけた。
それでも、欲しいものは全て手からすり抜けていく。
もういい。
そう思った時に、私の手を支える手があった。
私の運命を変えてくれた力強い手と、私の手を一生懸命掴もうとする優しい手。
どうかその手を離さないでと懇願されて初めて私は涙がでて、自分の居場所がそこにあることを知った。
私の欲しかったものは、すぐ隣にあった。
私を否定しない、褒めてくれる場所。
おっかなびっくりで疑心暗鬼の中踏み入れたその場所は、私の思ってたような天国では無かったけど確かに私の居場所だった。
私の愛する私を共に愛する人がいた。
私が愛したものを、磨き上げるお手伝いをしてくれる人がいた。
どんな私でも、認めてくれる人達だった。
欲しかったものは、私の努力を認めてくれた。
だからきっと大丈夫。