白黒つけず、ハッキリさせない方が良いこともある。
曖昧なことで成り立つものが、世の中には想像よりずっと沢山あるのだと思います。
彼はよく答えを明確に出したがって、〇か✕かを問うてはそういうことではないと言い合いになるのです。
でも、そんなことばかりではない。
相手の気持ちがどんなものだろうと、決して間違いだとかそんなことは言うことは出来ない。
だからといって、どんなことを言ったりやったりしていいわけじゃない。
やっていいことも言っていいことも、その時と人によって変わるのです。
この世には正解がない。
だから私たちは、国を分けて地方自治を行う。
いつかきっと、正解に近付けると信じて。
この政治のあり方は別に間違いから生まれたわけでもなければ、正しいものばかりだった訳では無い。
紆余曲折を経て、その答えを求める過程で生まれたまだ進化すべき世界の形でそこに満足して口を出し改善することを怠った私達の罪の形。
曖昧なラインをやすやすと踏み躙られることを見て見ぬふりをし続けたのは、間違いなく国民なのだから。
どの世界にもタブーがあって、明確にしないものがあるのだけれどそれは決して怠惰からくるものばかりではないのです。
考えに考えた末、動けなくなっているものもある。
そして、人の心や在り方がそこにある時に。
その気持ちや心を否定してまで守る規則など必要か
曖昧な方がいい時もある、それでもいい。