窓から聞こえる子供の泣き声が、優しくて温かい。
私が住む場所の近くには学校があるので、小さな子から中高生までいっぱい住んでいます。
近所に住んでいるであろう赤ちゃんの泣き声をあやすお母さんの声、帰る時間の笑い声も全部優しくて大好きです。
人がそこにいるんだなぁって分かるから。
特にちっちゃな子をあやすお父さんやお母さんの声を聞くのが好きです。
もう泣き止んでーという溜息のような声も、どうにかして笑わそうとするひょうきんな声も愛情で溢れている。
赤ん坊は理不尽な存在だろうし、言語も通じないけれどちゃんとそこにある愛情が分かる。
私にも向けられていたであろう無条件の愛情に思いを馳せて、幸せな記憶を引っ張り出す。
最初から期待などしなければよかったのかもしれない、言語が通じないからと諦めればもう少しマシだったのかもしれない。
でも私も、いや私が子供だったし相手は大人だったのだから仕方がないのだろうかともしもの世界を想像する。
子供の泣き声も、世界が回っている証拠。
彼以外の人と関わる時間がとても短いこの頃、窓の外から聞こえる音や声だったり匂いだったりがとても幸せ。
なんでもないときになんでもない買い物やお出かけをするのがこんなに幸せだったのかなぁとしみじみ。
私も、ゆるされるのならいつかこどもが欲しい。
最初から言語が通じないと分かっている存在に理不尽に振り回されながら、幸せだなぁと思いたいな。