そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

責任と、誇りと、愛と

少し前の話になりますが教師いじめと呼ばれている傷害罪事件の被害者が書いた手紙を読んで、こういう人が教師でいられない国になってしまったのだと悲しい気持ちになります。

https://oricoma.com/news/9683/

被害者の先生は、逃げることなど出来なかった。
クラスにいる生徒の顔や、担任になってくれて嬉しいと言ってくれた保護者の言葉を思うと自分が耐えればとひたすらに思っていたのだと思います。
追い詰められる自分と子供たちの笑顔を天秤にかけたらきっとこの先生は迷いなく子供たちの笑顔をとったのでしょう。

その志につけ込んだ傷害事件など許されない。

教師というのは聖職者と労働者の狭間にいます。
子供のためには何でもしてあげたい、この子達の成長のためにはなんでも犠牲にしてもいい。
でも、家族がいて自分の人生もある。

そんな葛藤の中に生きる先生方のほんの一部がああやっていじめという名の暴行事件やら起こすために、教師質が下がったと騒がれるのは本当に不快です。
もっと全てを子供に捧げるべきだと騒ぐのは違う気がします。
何もかも捨て生徒達の為に生きろというのは、人間をやめろと言っているのと同じではないかと思います。

人間が人間らしく生きるために生きる術を家庭ではないところで教えていく。
義務教育で教えたいことはたくさんある。
そんな中であれもしろこれもしろと文部科学省に言われてひいひい言っている中で起こるこんな事件。

もちろん、加害者は悪いです。
でも、最初からそんな風に優秀で熱心な先生を貶めようと思って教師になった訳では無いはずだと思いたいです。
ずっと教師を続けていく中で起こる様々なことを経て壊れていってしまったものもあるのではないか。

先生の上に乗っかってるのは生徒の命を預かる責任と、そうやって任されているという誇りそしてそんな生徒たちへの愛。
そういう先生も沢山たくさんいるのです。
頑張っている人がいると頑張っていない人たちは比べられるから頑張る先生たちのほうがこうやって壊されていく。

日本の性質ではないかと思います。
出る杭は打たれる。
そんなのおかしい。

おかしいって言えるような社会にしなくては。