そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

ふつう?

障害や病気がないことが普通で、そうじゃない人は可哀想で差別されて当たり前ですか?

よく私は病気や家族の話をすると可哀想認定されてしまい最初から最後まで頑張った人だからと言われるのですが。
話を進めていくうちに私はそうでなくてよかった、可哀想な人は私とは違い気を遣わなければならない人だからと差別されてしまう。
そうやってグループ分けされて気が付いたら仲間外れの方がよっぽど悲しい。

病気を経て障害を持った家族も私なんかがって沢山言うのです。
障害のある私が幸せになっていいのかなって不安そうに尋ねるのです。
なんで、幸せになるのに資格がいるみたいな言い方をするのですか。

可哀想な人は、普通の幸せな人とは別れて生きなければならないのですか?
永遠に可哀想な人として生きて幸せになることなど許されないのですか?
どうして、普通でないと幸せになれないと決めつけるのですか。

私は絶対に嫌。
こんなことで諦めるなんてしたくありません。
これからあとどれくらい生きるか分からないような年齢で全てを捨てろなんて冗談ではない。

そして、そんなふうに諦めて欲しくない。
私のことを不幸にした人も不幸であって欲しいとは思えない。
幸せにしてくれた人は私が幸せにしたいって思う。

普通にはなれないけれど、可哀想な人ではなくて、私でよかったって思って欲しい。
普通?
だからなに?って言えるようになれるように。