そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

はなしてあげたい

疲れが溜まり、彼の行動がきっかけになってずどんと落ちてしまった時。

私は、ただひたすらに彼を解放してあげたいと思います。
彼が背負うにはあまりにも重い、私という存在がどれだけこれから足枷となるのか私は知っている。
私はそんな足枷を引きずったことのない彼が恨めしく、愛しい。

否応無く付けられていた足枷は、人は運命とか定め、または試練と呼びます。
そしてそれは重ければ重いほど克服した時に美徳とされ、本になりドラマチックに描かれる。
そんな『物語』を見て皆言う。

私には出来ない
神様は乗り切れない試練は与えない
あの人は特別


じゃあ、乗り切れなかった人は?


そんなものは、存在しないのと一緒。
死ねば美徳とされる場合もありますが、周りからは嘲笑と憐れみの視線を向けられます。
そして皆上辺は慰めの言葉を囁く。でも、その心はみんなひとつ。


私じゃなくてよかった


あの子は弱い子だから仕方ない。そんな運命だったのよ。
あまりにも可哀想よ、頑張ってたのにねぇ。
だって、私じゃないもの。

可哀想な人は自分と深く関わらないから美しい。
近付いて、親戚などになろうでもものならば、浴びせられるのは罵詈雑言。
関わらないでいてくれるならば相手がどうなろうと知ったことではない。

それは、当然で運命だと信じて疑わないんですよ。
だって傷付いていた人は自分がつけた傷が理由で傷ついたかどうかはなんて分からないでしょう?
傷だらけにひとつ傷が増えたところで五十歩百歩。私のせいではない。そう言える。


そんな風にこれから生きていかなくてはならない私から、離れて欲しい。
どうか彼の人生ができる限り穏やかで優しいものであって欲しい。
私にくれた優しさが、どうか彼の人生によいものとして働いて欲しい。

それは、私が隣にいる限り、とても難しいものとなってしまうことが苦しく、痛くて、耐えられないのです。

どうして私は足を引っ張ることしか出来ないんだろう。
彼にとって役立つ存在でありたいのにそれがこんなにも難しいのだろう。
彼が与えてくれたたくさんのものを何ひとつ返すことが出来ないのか。

悩み尽くしたあげく、いつも出す答えはひとつ。
私から、彼を放してあげたい。
それに、尽きるのです。

でもいつも彼の優しさに漬け込んで実行できない。

自己嫌悪で死にそうなのに、何故か生きてる。

皮肉にも程がある。

生きたいと願う人に申し訳ないです。

どうしたら、正解なのか答えは出ないまま。