どうして、傷つけた人は傷つけられた人に許すことを強要するのでしょう。
どうして、許すことが義務なのでしょう。
許せない人は、心が狭い人として認定されるのでしょう。
どうして、酷く傷ついたことすらもなかったこととして振る舞わなくてはならないのでしょう。
それが大人だと説く世間は、傷ついた人には優しく接しておいて暫し経つと被害者面するなと責めるのです。
皆しんどいのだと。お前だけではないと。
おった傷に見て見ぬふりをしていないのは甘えだと言われるのです。
私は、そんな傷が増えすぎて、立ち上がることができなくなってしまいました。
立ち上がり続けてきたからこそ、そんな風に倒れた私は滑稽で。
そんな状態の人間は、人間として扱われないのです。もう傷だらけならばもっと負っても気付かれないだろうと、きっとなかったことになると決めつけられて、酷く詰られ罵られるのです。
そんな人生、誰が望んで生きたいと思うのでしょうか。
私は、もう強くあることを諦めることにしました。
傷ついた、傷だらけの自分を鞭打って立ち上がらせることはしたくありません。
そんなことを強いる人には近付かないようにしていこうと思っています。
そして、傷ついたことを、傷つけようとして私を傷つけた人達のことを、忘れることはありません。
恨むこともしません。
ただ、忘れることをしません。
無かったことになんて、できません。
そう、決めると少しだけ気持ちが軽くなったような気がします。
私の人生ですから。自分の足で、歩きましょう。