そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

「自立」って「自分の人生」を知ること

「自立」って「自分の人生を生きる」ってことだと思っています。

 

自分の人生を、責任もって生きること。「自分」として生き抜くこと。

 

それは、幸せになることも、不幸になることも全て自分が責任をもって受け止めることなのかな、と思います。

それは、経済的や精神的、身体的などたくさん責任が生じる場面があります。

一番苦しいのは、精神的ではないでしょうか。

特に女性は、世間の声で「こうあるべき」という理想像がはっきりしていて、そのうえそれが自立した女性ではないことも多いです。

こればかりは自分の問題だけではないですし、家庭環境や思考など縛られることは沢山あります。ときには呪いとして自分の言葉や行動に出てしまって、こんなはずじゃなかっ

たのにと自己嫌悪したりして。

こんな自分が「自立」なんてできるはずがない

 

そう思ってしまっている人、意外と多いのではないでしょうか。

少なくとも、私はそうでした。自分の意見なんてあるようでなくて、親の望む選択をしてきました。「私の人生」というよりも「親の2度目の人生」でした。

きっと一生そうやって生きていくのだろうと諦めて、敷かれたレールに乗るのだけは嫌だから、親の指示通りに自分の力でレールを敷いて、そのとおりに歩いてきました。

 

でも、想定外のことが起こって

自分の思い通りにならない「理想の自分」と「現実の自分」の間で苦しめられてはもがいてあがいて。こんな自分いらないって思いながらもなんとかしがみついて、ぎりぎりを踏みとどまって。

今をなんとか生きています。

 

初めて出会った「自分」に驚いて、がっかりして。

でも、初めて自分で選んだ道は、「生きてる」と感じさせてくれています。

世間一般で言うような「理想の人生」とはかけ離れているかもしれません。

でも自分が、悩みぬいて選んだ「人生」でおこる悲しいことや楽しいこと、不安なことや喜び、全てが私のものだと思うと、それはとても幸せだと思えるようになりました。

 

自分の足で、心で立つことは大変そうですが、何もひとりきりですることではないと思います。

それが、パートナーだったり、友達だったり、家族だったり、応援してくれる人や批判する人がいたり、そんな色々な人と関わりながら自分の気持ちを大切にして選び取って生きることが「自立」なのかなと思います。

 

「今の自分」からしたら想像もできないような「未来の自分」がいるのかもしれない、と思って、賭けてみることもいいのではないかと思います。

 

ずっと幸せな選択というのは難しいです。

でも、私は昔自分が想像していた未来よりずっと幸せな人生を歩めていると確信していいます。