そこそこ、を目指して ~うつだけど前を向きたい~

生きることを頑張れなくなってしまいました。でもぎりぎり生きています。

忘れられない今更

誰にも言えぬ本当のことを、少しだけ話して。

きのう何食べた、という映画化もされた漫画作品がありまして。
これはゲイのカップルが一緒に暮らす生活を、食事を中心に描いたもので。
そのドラマと映画の主題歌の『帰り道』という曲の一節に忘れていくよ喜びも深い悲しみもという言葉があります。

タイトルと冒頭もその曲のフレーズです。
何だかたまに無性に聴きたくなって、ずーっと繰り返してしまう。
同性のカップルも、きっととても大変なのだろうなと思うと皆も各々言えない悲しみと共に生きてるんだろうなと思い出させてくれる。

主人公に、母親が貴方が同性愛者でも犯罪者でも愛してるって言うシーンがあり。
その時主人公はスンっとシラケて少しショックを受けた顔をして、同性愛者は犯罪者と同じかというモノローグがつくのです。
好きになる人が同性だというのが何の犯罪だというのか、何故そんなことを言われなくてはいけないのか。

そんなことを親に言われて、聞き流さなくてはいけない。
私は多分何回でも噛み付いて繰り返し消耗して少しずつ嫌いになっていく。
そうして、ここまで来てしまったしもう引き返せない所まで来てしまった。

早く忘れたい深い悲しみは、喜びと一緒に消えてしまうのでしょう。
まだ喜びが深く残っているから、哀しい記憶も覚えているのでしょうか。
まだ、そんなに時間が経っていないだけなのかもしれない。

不思議なことに、定期的に呼び起こされる出来事が起こるのです。
忘れて欲しいはずなのになぁ、いい加減此方は絶対に折れないし思い通りに動かないと学んでくれないだろうか。
無かったことにしたいのは私も同じなのだから、どうかそうさせてくれないだろうか。

なんで無かったことに出来ないのだろうか。
なぁなぁで済ませられないのは何故だろう。
私は、どうして。

そして、また曲の一説を思い出す。
忘れられないイトシサを深く胸に抱いて。
これは、愛しさで私は深く胸に抱いているのかもしれない。

そして忘れられる頃には、きっといい色の思い出になっていたらいいと思うのです。
誰にも言えない本当のことは、少しだけ話してあとは自分で長い時間をかけて消化していくしかないのです。
忘れられない今更は、胸にしまいこんで形が変わるのをじっと待つことにして。

いつか、全部終わった時に。
笑って話したら大変だったねって言われて、昔のことよって微笑むことが出来たら一番最高だろうな。
そんなことが出来るように、頑張って生きよう。

忘れられない今更がここにあることも、いつか受け入れられますように。